diff --git a/src/content/blog/2024-12-01-i-am-not-a-visual-thinker.mdx b/src/content/blog/2024-12-01-i-am-not-a-visual-thinker.mdx index d72a5a2..2d24413 100644 --- a/src/content/blog/2024-12-01-i-am-not-a-visual-thinker.mdx +++ b/src/content/blog/2024-12-01-i-am-not-a-visual-thinker.mdx @@ -21,7 +21,7 @@ twitterCard: summary_large_image そうした自分の見解について話すと、まれに「いや、わかるでしょ」とでも言わんばかりの反応が返ってくることがある。つまりデザイナー本人からしてみれば、十分見やすくわかりやすく作っているつもりなので、それに難癖をつけられる道理が理解できないというわけだ。僕としては本当に「わからない」のだが、さも何かの意地悪で極論を言っているかのように捉えられるのである。 -僕はこれまで、それは自分の作ったものを見慣れすぎているという作り手のバイアスが原因の問題だと考えていた。もっとも、それも問題の一因ではあるだろう。しかし、僕が明らかに見づらくわかりづらいと思うものを見て、真逆の感想を述べる人がいるという経験も数多くしてきた。 +僕はこれまで、それは自分の作ったものを見慣れすぎているという作り手のバイアスが原因の問題だと考えていた。もっとも、それも問題の一因ではあるだろう。しかし、僕が明らかに見づらくわかりづらいと思うものに対して、初見の人が真逆の感想を述べる様子も数多く見てきた。 この感覚の違いの正体はいったい何なのか。誰かが嘘をついているのか。自分の心を正しく解釈できていないだけなのか。それとも彼らは、自分とはまったく違うレンズで世界を見ているのか。